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Lu.la.vie ☆姫乃


いつか 同じ場所へ 還ろう
by himeno-lavie
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信じる ということ




なんとなく思ったこと。


「人を信じる」というのは美しい言葉だ。

でも長いこと意味を取り違えてきたように感じる。


「この人はこういう行動をとるだろう」

「そんなことは絶対しないだろう」

「信じてるから」

「信じていたのに」


そこにあるのは自分の
その人に対する
「こうあってほしい」
「こうあるはず」
という欲。

だから違う言動を取られると
「裏切られた」
と思う。

それで自分に何らかの害がある場合
なおさらだ。


恋愛、友情、仕事、親子。


しかし、人にはそれぞれ言動の自由があり、
幸せを求める自由がある。

ものすごく悪い言い方をすれば
「勝手に思い込んで勝手に傷ついている」のだ。

傷つくという感情は
その人の責任であり、
本質的に言えば誰のせいでもない。

被害者意識はやっかいだ。



だからといって
人なんて信じるものじゃない とか
傷つかない、予防線のために信じない とかいう
感情的なものではなく。

信じる「対象」が違うのではないか。

相手を大切に想った場合、
その人がどんな行動を取ろうとも、
自分は揺るがず、
その人の幸せを祈れる「自分」を
信じるべきなのではないか。

たとえそれが自分から離れることだとしても。
自分が大きな荷物を背負うことになっても。


相手がそれほど大切な人でない場合、
約束と違う言動をされても
自分は揺るがず、
「その人にはその人の人生があるから」
と受け流せる「自分」を。


約束を守る。
それは社会で生きていくのに大事だし、
「この人はやってくれる」という
期待を裏切らない、信用、信頼、というものも
ものすごく大事。

でもそれは「守る」側が、
そうしたいから、
そうするのが幸せだから、
成り立つのではないだろうか。

信頼されるのは嬉しい。
それに答えるために頑張ろうと思う。
そうしたいから。




仮に「裏切られた」と思う時、
それは自分の欲が満たされず、
計画していた幸せが妨害された、
ということだと思う。

そんな時は怒りや憎しみにかまけておらず、
頭を切り替えて
さっさとルート変更したほうが
よっぽど建設的だ。


「信じる」というのは
相手の言動を支配するものではなく、
その人に対する揺るがぬ自分、
その人個人の幸せを「祈る」
ことではないか。

それぞれが幸せになることを「信じる」
そのための言動を「受け入れる」



**
なんてことを ちらと思いました。

無責任ですが、
「そうなのかもなぁ」と思っただけで、
まだ ちゃんと感情コントロールができているわけでは
ありません。

なのでこれから
「裏切られた!むきーーー!」
という日記があっても
「言ってる事違うやんけ!」
と怒らないでね。

優しくご指摘いただければ光栄です。


ものすごく誤解を生みそうな文面、
散文、駄文、
お許しください。
by himeno-lavie | 2008-07-14 05:50 | 思想